紅枸杞のお話し
ハリウッドのセレブ達のご用達は、なんと中国4000年の歴史がギュッと詰まったクコの実です。
紅枸杞は、流行と伝統がおりなすハーモニー
紅枸杞のお話し
なぜ紅枸杞が何千年もの月日が流れても、なお愛され続けているのか?
クコの実は、皮から実まで赤く色鮮やかに染まっています。
鉱物の変種である「紅瑪瑙」(べにめのう)に酷似していることから、
贈答品などとして古来から重宝されてきました。
民間では、紅クコと呼ばれることが多いです。
紅枸杞は、4000年前の中国、殷商時代、
最古の中国文字とされる甲骨文字に初めて記述されて以来、
その栽培、採集、食用歴史が4000年にもさかのぼることが分かりました。
また、2000年前中国最初の詩集である「 詩経 」に載せた七つの詩に
クコが言及され、当時の人々がクコとの深い関わりがあったことが分かってきました。
なぜ何千年もの時が流れても、紅クコの人気が劣らないのだろうか。
実は、中国医学の理論が樹立されてから、その価値がより認識され、
人々は何千年もの間、紅クコを一つまみして、そのまま噛み飲み、
毎日の食養生に励むことを習慣にしてきました。
それは、現代の人々がサプリメントを飲んで、ビタミンやミネラル、
他の栄養素を補給する姿と重なって見えます。
古代の人々は、より素朴な世界観を持ち、体を自然の一部だと考え、
一つまみの紅クコからシンプルな生活スタイルを伝え続けてくれました。
だからこそ、紅クコは長く愛されてきたのです。
『 クコ 』という名前の由来
クコという名の由来はいろいろな説があります。
中国明朝時代の薬物学者、李 時珍さんがこう語りました。
「クコは棘が枸樹(カラタチ)の棘に似ている、茎が杞樹(コリヤナギ)の茎に
似ているゆえ、二つの木から由来し、枸杞という名前になりました。」
また、伝説として言い伝えられたお話しもあります。
中国戦国時代 秦の境内に流れる黄河の南側に『北山』の
北山山脈(今の寧夏回族自治区の中寧県)があり、
ある若夫婦がそこで農業を営んでいました。
老いた母を養いながら生計をたて、貧しくも楽しい日々を送っていたという。
夫の呼び名は、『枸子』 妻の名字は、『杞氏』です。
時は、秦が周辺六国を叩き、天下統一に旗を揚げていたため、
男子は残らず徴兵されてしまいました。
夫の枸子も戦地に送られ、妻の杞氏は一人で家を守らなければなりませんでした。
※イメージ画
李 時珍 (1518年-1593年)
中国・明代の医師で本草学者
27年の歳月をかけて本草学書
『本草綱目』全52巻を完成させる。
十年の戦事を終え、故郷に戻る道すがら枸子が目の当たりにした光景は、
戦乱に見舞われた悲惨な状況でした。
年老いた母と妻はまだ生きているか不安でいっぱいの帰路であったが、
自宅に戻ってみたところ、母は健在で妻は若々しい姿のまま健康状態も
良好な様子でありました。
『なぜ!? すぐにでも飢えに喘ぐことになるのに ・・・・。』
枸子は不思議で仕方ありませんでした。
妻から話を聞くと。
『 この十年、周年労作しても食べていけなかった。
蝗や水害にあうたび、収穫がぜんぜん望めない。
仕方なく山間で採ってきた果実を飢えに充てていました。
この実がなくては、命もなしでした。』 と語ってくれました。
その話がたちまち噂になり、近隣の人々が次から次へと
山間へ行き採食し、この夫婦の名前にちなんでクコの実を
「 枸杞子 」と名付けたといいます。
『 枸杞のルーツ 』
中国最古の詩集、「詩経」(しきょう)にある、
七つの詩文がクコについて記述していました。
七つのうちの一つである「 小雅・北山 」という詩文に
「徒彼北山、言采其杞」という文句があります。
「北山に上り、クコを採り、味見しましょう」という意味です。
ここのクコを採集する場所は北山だというのですが、
一体どこを指しているのでしょうか。
分かれば、クコのルーツを知ることができます。
「山海経」に「長城の北山」が記載されています。
その長城は実際に寧夏回族自治区に走る固原長城を指し、
固原長城北側にある山脈は、今の六盤山の北麓です。
六盤山の北麓山脈は代々「北山」だと言われ続けてきました。
また、「三国志・魏書」に「諸葛孔明連兵北山」という記述もあり、
ここの「北山」も「六盤山の北側」を指しています。
「六盤山の北側」は、現在の寧夏回族自治区 中寧地区です。
クコのルーツが少し分かってきました。
『 枸杞の食用文化 』
中国明朝時代に薬物学者 李 時珍さんが「本草綱目」(ほんぞうこうもく)に
クコをこう記しています。
春の葉は、 「 天精草 」 という、(クコの葉)
夏の花は、 「 長生草 」 という、(クコの花)
秋の実は、 「 枸杞子 」 という、(クコの実)
冬の根は、 「 地骨皮 」 という、(クコの根)
枸杞は一年を通して、その全てを利用できる宝になっています。
実は、クコが古代から宮廷や上流階級において流行していたことや
著名人にちなんだお話も数々あります。
◇ 宋朝時代の大詩人蘇東坂(そとうば)が、自宅の庭でクコを栽培し、
よく友を呼びクコを振舞っていたという。
◇ 唐朝時代の宰相 房玄齢(ぼうげんれい)が過労の際、毎朝クコと白きくらげの
煮込みスープを飲んで持ち直したという。
◇ 清朝時代 西太后 が毎日服用する「益寿膏」、「長春益寿丹」には、
クコが配合されていたという。
◇ 唐の皇妃、世界三大美女の一人である 楊貴妃 は、美容のために毎日
クコの実を三粒、欠かさずに食べていたという。
◇ 日本では、薬好きで知られている、徳川家康がクコの実を愛用していた
といいます。
中国伝統医学書によると、
クコが甘味であり、肝経、腎経、肺経に帰します。
腎を補強し、肝を養い、目に潤いを与え、肺に津液を生ず、
免疫力を高める働きがあると記されています。
クコは、カロテノイド類のβカロティン・リコピン・ルテイン・ゼアキサンチンを
含み、ビタミンA、B1、B2、C、E、カルシウム、鉄分など体に必要とされる
成分が豊富に含まれています。
クコには、「明眼子」という別名もあるほど目に良い成分が含まれています。
歴代医家が肝血不足、腎陰虚弱による夜盲症や目翳みにクコが
常用されていました。
「 杞菊地黄丸 」が代表的な方剤でした。
近年、科学的分析手段の発達により、クコの成分がより解明され、
「クコ多糖類」・「ベタイン」やファイトケミカル成分(抗酸化成分)が
注目されるようになりました。